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津軽で“幾何学文様の美”に出会う旅 その四~【番外編】南部菱刺しの美に触れる
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津軽で“幾何学文様の美”に出会う旅 その四~【番外編】南部菱刺しの美に触れる

ここでちょっと寄り道してみましょう。津軽の「こぎん刺し」によく似た刺繡文化に、青森県東の「南部菱刺し」があります。

1.「津軽こぎん刺し」によく似て非なる「南部菱刺し」

こぎん刺しが経(たて)糸の目を奇数目ずつ拾って刺し綴るのに対して、南部菱刺しは偶数目ずつ刺し綴るのが特徴です。偶数目ずつ拾って刺していくと、菱形は横長になります。 

横菱でカラフルな南部菱刺し。写真:あきばこと
横菱でカラフルな南部菱刺し。写真:あきばこと

私は10年ほど前、東京・浅草にあった「アミューズミュージアム」で初めて菱刺しを目にしました(ミュージアムは2019年に閉館)。この博物館は、津軽こぎん刺しや菱刺しのコレクター、研究者である故・田中忠三郎氏の3万点余りのコレクションを所蔵していて、その展示はそれはそれは壮観でした。 

こぎん刺しも菱刺しも、モドコ(菱刺しでは“型コ”。小さなモチーフを菱形で囲んだもの)を繰り返すのは同じ。ですが、藍白で縦菱がクールな津軽古作こぎんと比べると、菱刺しは横菱でかなりカラフル。独特の配色でちょっとポップ、悪く言えばなんとなく野暮ったい印象を覚えました。

アミューズミュージアムにて。試着可能な菱刺しの前垂れがあったので着用させていただいた。写真:あきばこと
アミューズミュージアムにて。試着可能な菱刺しの前垂れがあったので着用させていただいた。写真:あきばこと

野暮ったい、と書きましたが、これはこれでおしゃれ。アンデスの工芸品のようにも見え、素朴でよりフォークロア的な魅力がありますね。

2.「南部菱刺し」がカラフルなわけは?

南部地方には東北本線が明治23(1890)年に盛岡まで、明治24(1891)年には青森までの全線が開通しました。菱刺しがカラフルなのは、津軽地方より早く、東京などから当時最新鋭の物資が輸送されるようになったことが大きかったようです。もともとは津軽こぎん刺し同様に麻布に綿糸で刺し綴られていたであろう南部菱刺しに、ウールの色糸がもたらされました。潤沢とはいえないものの、温かくふっくらした色鮮やかな毛糸が手に入るようになり、それを刺し綴ったのが南部菱刺しなのです。

アミューズミュージアムにて。南部菱刺しには津軽こぎん刺しとは異なった魅力がある。
アミューズミュージアムにて。南部菱刺しには津軽こぎん刺しとは異なった魅力がある。

津軽の村々ではすでにこぎん刺しを施した着衣文化は廃れていた頃です。ちょうど柳宗悦が初めてそのこぎん刺しに出会い、『工芸』14号でその素晴らしさを世に知らしめた時分に、南部菱刺しは全盛期を迎えました。

当時すでに普及していた化学染料で染められた色糸の華やかさは、それまで藍白や茶、灰色ばかり目にしていた人々の目には衝撃的に映ったに違いありません。地方への流通量は限られ、同じ色の毛糸を思う存分手に入れられるわけでもなかったのでしょう、なんとか手に入れた糸を刺し綴っているうちに別の色糸に変えざるを得なかったこともあったのでしょう。おのずと不思議な配色のものとなったようです。

3.若き「菱刺し」作家、「nonoc」木滝奈央さん

この南部菱刺しに魅了された女性と出会いました。出会った、というより、こちらから押しかけたというほうが表現として正確です。「nonoc」というブランドで菱刺し、こぎん刺しを刺し綴っている木滝奈央さんの作品をインスタグラムで見て、上品で穏やかな作風にひとめ惚れして青森まで“押しかけた”のです。 

てっきり南部地方の出身で、おっとりとしたおとなしい人をイメージしていたのですが、待ち合わせ場所のカフェに現れたのはエネルギッシュでさばさばした、小気味良い女性でした。 

「東京で30分時間ができたら、神田の古書街や国会図書館で文献を漁っています。わが家は菱刺しやこぎん刺しの資料で埋め尽くされている」というほど学究肌でもある木滝さん。
「東京で30分時間ができたら、神田の古書街や国会図書館で文献を漁っています。わが家は菱刺しやこぎん刺しの資料で埋め尽くされている」というほど学究肌でもある木滝さん。

木滝さんは茨城県鹿嶋市出身。18歳のときに上京して舞台関係のスタッフとして働いたのち、大阪を皮切りに日本全国を巡るうち、「どこか田舎で暮らしたい、と青森に辿り着きました。半年、半年……と延長しているうちに気が付いたら10年が過ぎていました」。 

青森で暮らすようになってから、こぎん刺しのワークショップに参加したところ、すっかりはまってしまったそうです。こぎん刺しにのめり込んでいるうちに「菱刺しというものがあるらしい」と耳にしたそうですが、当時はネットで調べてもほとんど情報が出てこなかったのだとか。「正直、菱刺しはもうあまり刺されていないのかなと(笑)。最初はこぎん刺しのほうが好きでした。スタイリッシュだし、繊細なレースみたい。一方、菱刺しは色がごちゃごちゃしていて、色味もドぎついし、なんかこう、まとまりがない」。 

今からわずか10年ほど前、こぎん刺しを趣味にする人が増えているのに、菱刺しがほとんど知られていなかったのは「モチーフの単位(型コ)が大きくて、小物作りに向かなかったからじゃないでしょうか」と「kogin.net」の山端さんが分析してくれました。なるほど菱刺しのモチーフは、繊細というよりも大胆、小さなものよりも広い面に施したほうが魅力的です。 

木滝さんは“垢抜けない”というファーストインプレッションを抱きつつも、生来の探求心から資料を取り寄せたり、話を聞いて回っているうちにじわじわと菱刺しならではの面白さに気付いていったと言います。「配色がすごいですよね。ここにこんな色来るか⁉って。パステルピンクの隣にパステルイエロー、黒、とか」。そして、青森県伝統工芸士の高橋博子さんに師事し、五戸町菱刺し研究会の皆さんと楽しく菱刺しを学ぶようになったそうです。

4.菱刺しの“前垂れ”の物語

こぎん刺しには上着しかありませんが、菱刺しは長着のほかに“たっつけ”と呼ばれるレギンス状の履き物や、“前垂れ(まえだれ)”と呼ばれるエプロン状のものが多く残っています。

昭和初期の南部地方の女性。菱刺しの“前垂れ”を着けている。 
昭和初期の南部地方の女性。菱刺しの“前垂れ”を着けている。 

南部地方で稲作が行われるようになったのは近年になってから。それまでは「やませ」の影響などで米が採れず、人々は畑で雑穀を作って暮らしていました。また、山の中には野ばらやアザミなどが生い茂っているそうです。「私、山菜採りするんで分かるんですけれど、藪とか山の中でふつうの生地だとトゲが刺さるんですよ。だからそれを避けるために、たっつけが必要だったんでしょうね」。 

“前垂れ”は、おしゃれ着として町に出かけるときや祭りのときに女性が着用したものだそうです。色とりどりの糸で飾り立てた前垂れを着けて、想い人の気を引いたという話を聞いた、と話してくださいました。「びっくりするのは、すごく可愛らしい配色の前垂れがあって、十代の子が刺したのかな、と思うと、実は70とか80歳のおばあちゃんだったりするんです。その配色やデザインにその人の内面の女性らしさが表現されているのが素敵だなって」。

誇らしげに菱刺しの上着と前垂れを着けた女性。
誇らしげに菱刺しの上着と前垂れを着けた女性。

昔の農家ではふだんは娘を家から出さず、年に一度の祭りのときなどが貴重な出会いの場だったといいます。「一目惚れした人や、“推し”の気を何としても引きたい、と思ったら、派手に目立たせたくなるのが人情ですよね。私、八戸の『えんぶり』という祭りが大好きで、“推し”の晴れ姿が見たくて行くんです」。そう笑いながら語る木滝さんは、当時の女性たちの気持ちが分かる、と言うのです。 

「特に面白いのは五戸あたりですね。派手な色が流行った時期があったらしいんです。もともと宿場町で東京のものが多く入ってきたりしていたので、おしゃれな人が集まってきたそうです」

五戸は八戸の西に位置する。
五戸は八戸の西に位置する。

草木染の柔らかな色合いの菱刺し

菱刺しの魅力に取りつかれた木滝さんの「nonoc」としての菱刺しは、古くから“型コ”を刺し綴ってきた先人たちへのリスペクトに満ちています。その上で藍や草木染の糸を使うなど、これまでの菱刺しとは一線を画した穏やかでスタイリッシュな作風が魅力です。

木滝さんの作品の一部。額装したものやテーブルライナーのほか、バッグやカンカン帽、ヘアゴムなどを制作している。右は、木滝さんが手掛けた前垂れ。
木滝さんの作品の一部。額装したものやテーブルライナーのほか、バッグやカンカン帽、ヘアゴムなどを制作している。右は、木滝さんが手掛けた前垂れ。
)炭染めの糸。天然染料ならではの深みのある温かな色味。
墨染めの糸。天然染料ならではの深みのある温かな色味。

5.2023年は「菱刺し」に注目⁉

木滝さんに伺った中で衝撃的だったのは、菱刺しについての本がどっと世間に出回ったのはここ2~3年、「コロナ禍で皆さん古い家を掃除したんです。それで眠っていた古書が大量にオークションやネット上などに流通したんですよね」。そのほとんどはこぎん刺しについての文献だそうですが、その中にほんの2~3行でも菱刺しのことが書かれているんじゃないか、と買い漁ってしまうというのですから、恐れ入ります。

木滝さんは、そんな落ち穂を拾うようにして少しずつ歴史や文化を学びながら、独自の世界観で菱刺しを刺しているのです。

わずかずつでも菱刺しについての資料が出回るようになったことで、近い将来、菱刺しにもこぎん刺しのようにもっともっとスポットライトが当たるようになる日が来るかもしれません。

「いつかこれを着けて“えんぶり”を観に行きたいんです」と木滝さんは笑う。“えんぶり”は春を待つ南部・八戸の新春行事。 
「いつかこれを着けて“えんぶり”を観に行きたいんです」と木滝さんは笑う。“えんぶり”は春を待つ南部・八戸の新春行事。 

津軽の人も南部の人も、「私(俺)は、こんなものまで作れるんだ」と競い合う精神が根付いているのではないか、と木滝さんは語ります。「たとえば津軽の山ぶどうやあけびの籠もそう。ルイ・ヴィトンのバッグよりも、あけび籠などすごく手を加えたもののほうにステータスがあるというか」。

籠や刺し子のように緻密なものと、ねぷたのような巨大なもの、両極端ながらどちらも徹底的に「すごい」ものを表現する文化。それがこの青森の独自性なのかもしれません。

撮影=牧田健太郎、あきばこと

◆「nonoc

オンラインショップ

※作品展 nonoc「南部菱刺し・モダンデザイン展」

日時/2023年1月19日(木)~1月22日(日)(1月19日は木滝さん在廊)

場所/「イトノサキ+(プラス)」東京都港区南青山4-1-5 KFビル3階

☎03-6721-1358